作品概要
作品名 | 燈の守り人(アカリノモリビト) |
メディア展開 | YouTube、漫画(2022年夏予定) |
サービス開始日 | 2020年10月26日 |
公式リンク
燈の守り人 とは
海と陸の境界線
そこに建つは灯台
宿るは守り人―紡がれるは記憶の物語―
津々浦々の「灯台」を「擬人化」し
マンガ、ボイス、ライブのフォーマットで描く
海洋歴史エンターテインメント。(中略)
ようこそ、灯台の光のもとへ。
【公式】燈の守り人/燈の守り人とは より
キャラクター一覧
日本海
角島灯台(ツノシマトウダイ)
杉重 旺太朗(スギシゲ オウタロウ)
CV.置鮎龍太郎
山口県の響灘(ひびきなだ)に浮かぶ、当時の日本海側では初めての大型灯台。日本の灯台の父リチャード・ヘンリー・ブラントンが最後に完成させた灯台と言われる。酷似したデザインの灯台がスコットランドのアードナマルカンに存在する。灯台のレンズは第1等8面閃光レンズ、明治9年の初点灯以来、取り替えられることなく同じレンズが使用されている。山口県内の徳山産の花崗岩(かこうがん)を無塗装で使用する石造灯台。
【公式】燈の守り人/守り人 より
経ヶ岬灯台(キョウガミサキトウダイ)
海心(カイシン)
CV.緑川光
京都の若狭湾を照らす、日本最大級の第一等フレネルレンズをもつ灯台。第一等フレネルレンズをもつ灯台は国内に5基しかない。巨大な3面の閃光レンズの組み合わせによって光を強く遠く届ける。日本人だけの力による灯台建設技術が円熟した明治中期の代表格とされる。「水銀槽式回転機」というレンズを回転させるための装置を早くに採用した。遮蔽版がないこと、塔高の低さからレンズをよく見ることができる灯台としても有名。
【公式】燈の守り人/守り人 より
出雲日御碕灯台(イズモヒノミサキトウダイ)
尊彦(タカヒコ)
CV.竹内良太
「石造りでは日本一の高さ」とうたわれる、日御碕に立つ灯台。日本人灯台技師の草分け的存在である石橋絢彦が建築を担当。ブラントンの技術をはじめ、本場スコットランドから学びを得た日本人の技術が結実した灯台。二重構造(外壁を石造、内壁をレンガ造り)という特殊な建築方法による耐震性。その恩恵もあり、塔高の高さにも関わらず現在も建築当時と同じ姿を残す。
【公式】燈の守り人/守り人 より
能生港灯台(ノウコウトウダイ)
朱一郎(シュイチロウ)
CV.伊倉一恵
能生港の中央に位置する小さな岩島の上に立つ灯台。陸から赤い橋が架けられている。航路標識としての役目を終えた後も町民の要望で撤去されず、観光資源として再活用されている貴重な事例。岩島は弁天岩と呼ばれており、海底火山の噴火によって形成されたもの。糸魚川ジオパークのジオサイトの一つである。また、灯台の近くには小さな厳島神社がある。能生港は江戸時代から続く廻船の寄港地として有名であり、当時の風景を収めた船絵馬も残っている。
【公式】燈の守り人/守り人 より
美保関灯台(ミホノセキトウダイ)
乙部 忠移(オトベ タダヨリ)
CV.阪口大助
島根半島の地蔵崎に立つ灯台。建設当初の名前は地蔵埼灯台。ブラントンから技術を習得した日本人技師によって建てられた、ブラントン灯台に似た形状の灯台(金華山、部埼と類似性がある)。建設当時のまま残る石造灯台で、現在はLB灯器に変更されているが、初点灯時は第1等レンズを使用していた。併設する美保関灯台旧吏員退息所とあわせ、国の登録有形文化財になっている。
【公式】燈の守り人/守り人 より
禄剛埼灯台(ロッコウサキトウダイ)
道家 新左衛門(ミチイエ シンザエモン)
CV.神奈延年
能登半島の最北端に位置する、建造から130年以上が経つ灯台。古来より狼煙で有名な場所。狼煙町、狼煙港、狼煙海岸などの地名が残る。不動レンズを固定し、灯火の遮蔽板を回転させることによって点滅させる。灯台の建築は難工事で、石材を穴水町から船で運び、崖下から索道を架けて、人力で引き上げ、完成までに2年を費やした。
【公式】燈の守り人/守り人 より
鴛泊灯台(オシドマリトウダイ)
利助(リスケ)
CV.大空直美
北海道北部、利尻島のペシ岬の中腹に立つ小さな古城のような灯台。初点灯の時点では北海道唯一の石造灯台。現在はコンクリートに変わっている。「ペシ」とはアイヌ語で「大きな崖」という意味。かつては「モペシ」という岩山がそばにあったが、稚内港の建築材料として爆破され、ペシ岬だけに。100年以上の歴史のなかで、ニシンなどの豊富な海産物が取れる鴛泊港を守ってきた。
【公式】燈の守り人/守り人 より
鴎島灯台(カモメジマトウダイ)
長吉郎(チョウキチロウ)
CV.竹本英史
西洋の小さい古城を連想させるような独特のフォルムを持つ灯台。その歴史は遡ると江戶時代の“灯明台”から始まっており、灯明台、木製灯台、コンクリート灯台と変遷を繰り返している。陸続きの島である鴎島(かつては弁天島と呼ばれていた)にあり、天然の良港を築いたことからニシン漁や北前船交易の舞台だった。「義経の馬岩」や「弁慶の足跡」や幕末の軍艦「開陽丸」が座礁した場所も有名。
【公式】燈の守り人/守り人 より
艫作埼灯台(ヘナシサキトウダイ)
相澤 宗介(アイザワ ソウスケ)
CV.荒井聡太
白神山地を仰ぐ⻘森県深浦町の海岸線に建つ灯台。日本海北部の灯台では最大級の高さを誇る。⻘森県北部の龍飛岬と秋田県男鹿半島の入道崎の中間に位置し、漁船や南北を航行する船を広範囲に見守る。
【公式】燈の守り人/守り人 より
鼠ヶ関灯台(ネズミガセキトウダイ)
数珠丸(ジュズマル)
CV.佐藤聡美
2つの鳥居を越えた先の弁天島という小さな離島の上に建つコンクリート造の灯台。1つ目の鳥居は厳島神社、灯台の足元の赤い鳥居は金毘羅神社、と2つの神社が設置され、鼠ヶ関の漁⺠の安全を見守っている。弁天島には源義経が頼朝の追討を逃れ、平泉へと渡る途中で上陸したという伝説が伝わる。「神輿流し」という厳島神社の例祭で行われる豊穣と豊漁を祈る行事が有名。
【公式】燈の守り人/守り人 より
岩崎ノ鼻灯台(イワサキノハナトウダイ)
秋元 能伍(アキモト ノウゴ)
CV.河内孝博
高岡市内唯一の灯台。灯台の近くの伏木港が重要港湾に指定された同年に初点灯。伏木港は越中の地域で最も古くから海運がおこなわれていたと言う港。初点灯以来、富山湾を往来する船舶の安全を見守り続けてきた。白色円筒形鉄筋コンクリ-ト造りで、灯台の光はフレネルレンズが使用されている。建設当時に植栽された桜が春に美しい花を咲かせるため、「桜の灯台」と呼ばれる。
【公式】燈の守り人/守り人 より
入道埼灯台(ニュウドウサキトウダイ)
斧松(オノマツ)
CV.大和田仁美
男鹿半島の北西端に建つ、白黒のシマ模様をした灯台。初点灯時は鉄造の灯台だったが昭和に改築がなされ、現在のコンクリート造灯台に。全国に16基ある参観灯台の1つ。初点灯100周年を記念して設置された灯台資料展示室では、当時使用していたレンズや灯台の関係資料を閲覧することができる。降雪地域では、雪の中でも灯台が見分けられるように白黒塗装の灯台が多く見られる。
【公式】燈の守り人/守り人 より
太平洋
樫野埼灯台(カシノサキトウダイ)
雪平(ユキヒラ)
CV.岸尾だいすけ
日本最古の石造灯台で、日本初の回転式閃光灯台。「江戶条約」灯台で、R・H・ブラントンが日本で最初に完成させた。灯台のある紀伊大島は、北前船の⻄廻り航路の停泊地として栄えた。潮岬灯台と位置が近い。「大島遊郭」という有名な遊郭に「お雪さん」という遊女伝説が残る。樫野崎では1890年にエルトゥールル号遭難事故が発生、船乗りたちは灯台の光を目指した。彼らを介抱したことで今もトルコと交流が続く。
【公式】燈の守り人/守り人 より
陸中黒埼灯台(リクチュウクロサキトウダイ)
籐次郎(トウジロウ)
CV.真殿光昭
海上交通の要所で、漁師の強い要望によって建てられたコンクリート造の灯台。約130メートルの断崖、幕末には砲台場があった黒崎に立つ。村、漁業組合の働きかけで「普代灯柱」を設置、その後「普代灯台」「陸中黒埼灯台」と姿や名前を変えながら現在に至る。戦後に灯台管理が海上保安庁に移されて間も無く建てられた”戦後灯台”の一つ。
【公式】燈の守り人/守り人 より
潮岬灯台(シオノミサキトウダイ)
潮崎 初太郎(シオザキ ウイタロウ)
CV.粕谷雄太
本州最南端となる紀伊半島南端の断崖に立つ、ブラントンが設計した白亜の灯台。潮岬は「台風銀座」とも呼ばれ、日本屈指の台風の通り道。明治3年に日本初の洋式木造灯台として完成するも、運搬トラブルから機材が届かず、代替品による仮点灯となる。仮点灯から3年以上の月日を経て、明治6年9月15日に本点灯を迎える。その後、台風によって木造灯台は倒壊、現在の石造灯台は明治11年に完成したもの。
【公式】燈の守り人/守り人 より
尻屋埼灯台(シリヤサキトウダイ)
やませ(ヤマセ)
CV.乃村健次
⻘森県下北半島の、太平洋と日本海の交わる海に面する灯台。レンガ造りの灯台としては日本一の高さを誇り、「日本の灯台の父」リチャード・ヘンリー・ブラントンが建設に携わったものの一つに数えられる。また、霧信号を日本で初めて導入した灯台でもある。初めは霧鐘(むしょう)を使用していたが鐘の振動で壁に⻲裂が走ったことから霧笛(むてき)に切り替わった。戊辰戦争に敗れ、移封された会津藩士たちがレンガを焼き、実際の建築にも参加している。
【公式】燈の守り人/守り人 より
野間埼灯台(ノマサキトウダイ)
中根 春庭(ナカネ ハルニワ)
CV.松風雅也
愛知県に現存する最古の灯台。野間灯台という通称でも親しまれる美浜町のシンボル的存在であり、伊良湖水道および伊勢湾を照らす灯台。灯台周辺を囲う鉄柵は、南京錠を掛けると恋愛が成就する、というカップル向けのスポットとして広く認知されている。が、2011年より鉄柵に代わり「絆の音色」というモニュメントに願掛けをするシステムとなった。現在はLED灯器によって海を照らしているが、以前は日本光機製造のフレネルレンズが使用されていた。
【公式】燈の守り人/守り人 より
細島灯台(ホソシマトウダイ)
三輪 善吉(ミワ ゼンキチ)
CV.三浦祥朗
細島半島の先端に位置する⻄洋式灯台。大阪商船の寄港地である細島港の岩礁対策で設置された。初代は白色六角形で、石材・煉瓦・木材・鉄板を組み合わせた設計だったが、建てられてから12日後に火災で焼失してしまった悲運の物語を持つ。昭和の大戦期に改築され、半円アーチ形に突出する出入口や、バルコニーの大きな三角形の持送りなど、昭和期流行の意匠が取り入れられた。
【公式】燈の守り人/守り人 より
大須埼灯台(オオスサキトウダイ)
阿部 源蔵(アベ ゲンゾウ)
CV.松野太紀
雄勝半島の東端に建つ白塔形の灯台。昭和24年に灯柱として初点灯をはたし、翌々年の昭和26年に海上保安庁によって現在の姿に建て替えられる。大須漁港に出入りする船や、雄勝半島の沖を行き交う船の安全のために夜の海を照らしている。灯台から望む大須漁港は、ハート型に見えることでも有名。
【公式】燈の守り人/守り人 より
菅島灯台(スガシマトウダイ)
白浜丸(シラハママル)
CV.津村まこと
三重県は菅島から伊勢湾の入り口を照らす、日本最古のレンガ造の灯台。「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計であり、竹内仙太郎という瓦職人の焼いた煉瓦を使用している。愛知県の博物館明治村に菅島燈台付属官舎というレンガ造の建築があり、これはかつては灯台に併設されていたもの。
【公式】燈の守り人/守り人 より
瀬戸内海
釣島灯台(ツルシマトウダイ)
橙一郎(トウイチロウ)
CV.伊藤かな恵
愛媛県の松山沖、釣島に立つ石造りの灯台。瀬戶内海の難所である釣島海峡の航路を照らすため明治初期に建てられる。灯台と敷地内にある旧職員官舎はともに「日本の灯台の父」ブラントンによる設計であり、明治初期に建設された当時の洋式建築がそのまま保存されている。140年以上前に島を訪れた灯台設計者のブラントンや初代灯台⻑らイギリス人たちが持ち込んだ「西洋文化」の息吹が、タイムカプセルのように閉じ込められている。
【公式】燈の守り人/守り人 より
佐田岬灯台(サダミサキトウダイ)
柑爾(カンジ)
CV.竹田海渡
日本一細⻑い半島、佐田岬半島の最先端にあるコンクリート造の灯台。九州本島最南端の佐”多”岬灯台と一文字違いであるが、こちらは佐”田”岬と書いて「さだみさき」と読む。対岸の関埼灯台と佐田岬灯台の間に流れる海峡を豊予海峡といい、流れの速さから速吸瀬戸(はやすいのせと)という別称でも有名。関埼灯台のレンズと灯器を譲り受け、初点灯を迎えた歴史がある。
【公式】燈の守り人/守り人 より
蒲生田岬灯台(カモダミサキトウダイ)
蟻馬 亀太郎(アリマ カメタロウ)
CV.鹿野優以
四国の最東端、徳島県阿南市の蒲生田岬に建つ灯台。コンクリート造で、灯台には珍しい四角の窓が特徴的。瀬戶内海・紀伊水道の入り口を照らす。対岸の紀伊日ノ御埼灯台とで瀬戶内海の終りの線を作る。岬の北寄りにある砂浜には、県の指定希少野生動植物種に指定されているアカウミガメが産卵にやってくる。
【公式】燈の守り人/守り人 より
江埼灯台(エサキトウダイ)
上村 百之丞(カミムラ ヒャクノジョウ)
CV.久川綾
兵庫県淡路島の北端から明石海峡を照らす灯台。大坂条約(兵庫開港に備えて英国と日本が結んだ条約)に基づき建てられた灯台のうちの1つであり、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントン設計の石造りの洋式灯台。塔の高さが8メートルと、灯台のなかでもかなり背が低い部類に入る。阪神淡路大震災の際に灯台の石積みに生じたズレが今も残されている。
【公式】燈の守り人/守り人 より
東シナ海
伊王島灯台(イオウジマトウダイ)
丈太郎(ジョウタロウ)
CV.石川英郎
⻑崎港の出入り口に位置する鉄造六角形の⻄洋式灯台。かつては日本初の鉄造灯台として知られていたが、昭和20年(1945)に原爆の爆風による被害を受け2度の再建を経験している。初代の灯台は江戶時代よりあった灯明台を「日本の灯台の父」リチャード・ヘンリー・ブラントンが⻄洋式灯台に生まれ変わらせたという。原爆による被災後は四角形の灯台に立て直され、平成15年に初代と同じ六角形の灯台に復元される。
【公式】燈の守り人/守り人 より
湯島灯台(ユシマトウダイ)
天草 与五郎(アマクサ ヨゴロウ)
CV.橋詰知久
熊本県大矢野島と⻑崎県島原の間に位置する、湯島に建てられた灯台。かつては三池港で帆船に積み込まれた石炭を、⻑崎口之津港まで運ぶ海の道しるべとして機能した。昭和の大戦期に多くの灯台が破壊されたが、被害を免れた湯島灯台は建造当時の面影を残している。また湯島は「天草島原の乱」のおり、天草四郎をはじめとする一揆方の戦略上の要衝となった島。
【公式】燈の守り人/守り人 より